tommyの思い出話

レトロゲームを中心に思い出を綴っていきます

パソコン雑誌についても語ろう

8ビットパソコン全盛の時代、当然インターネットはなく、パソコン通信でさえ、 まだマニアの方達だけのものでした。 パソコン関連の情報を入手する手段は専らパソコン雑誌となります。

自分が最初に手に取ったパソコン雑誌は、小学館から発売されていた「ポプコム」です。 記憶に残っているのは、「おれたちマイコン族」というマンガと 三遊亭圓丈の「円丈のドラゴンスレイヤー」です。 円上氏は、FMユーザでしたので、FMびいきでしたね。 (私とは多少の縁があるのですが)

しばらくポプコムを買っていたと思います。 その他には、PIO(ソノシートが付いていた)とか。

やがて、マイコンBASICマガジンベーマガ)に移っていきますが、 プログラミングを初めてしたのは、ポプコムに載っていたプログラムを入力したことからです。 単純なゲームだったけど、面白かったなあ。

プリンタなんて持っていなかったので、バグを見つけるのに苦労したけど。

今でも、そのゲームをプチコンとかに移植したいと密かに思っています。

今日はここまで。

ワールドゴルフは名作

パソコン、コンシューマ共に人気のあるスポーツゲームの一つにゴルフが挙げられます。

パソコン黎明期からゴルフゲームは出ています。 その一つ、エニックスの「ワールドゴルフ」シリーズは傑作ゴルフゲームでした。

FDDを持っていなかったため、テープ版をプレイしましたが、全然問題なしでした。 (開始までの時間以外は)

あの時代にしては、大変よくできたゲームで、旗包みとかもできた記憶があります。 一度だけですが。

なんでも、ワールドゴルフの作者は、のちに「みんなのゴルフ」を作ったみたいですよ。 それなら納得ですね、

ずっと後で、X68000でワールドゴルフ3をやったんですけど、FMでの1の方が楽しかったかな。 (記憶が美化されているせいかもしれませんが)

今日はここまで。

当時のパソコン売り場は楽しかったなあ

まだパソコンがPC88、X1、FM7がしのぎを削っていた時代、パソコンは一般的なものではなく、 マニアたちのものでした。名古屋近郊では、栄電社という電気屋さんが数多くあり、 パソコンコーナーが充実していました。(現在のエディオンですね)

パソコンは、各社から出ており、また同じ会社からも互換性のない機種が出ていることもありました。

まだ子供でしたが、パソコンコーナーは、とても楽しくて、いつまででもいることができる感じがしました。

ネット通販が普及し、パソコンの選択肢が限られる今思うことは、 あのころのパソコンショップのドキドキをまた感じたいなあということです。

今日はここまでにします。

ハイドライドって何?

当時、爆発的人気を誇ったゲームが2つありました。 1つはハイドライドシリーズ、もう1つはドラゴンスレーヤーシリーズです。 ドラゴンスレーヤー2であるザナドゥは、FDDを持っていなかった自分はできませんでした。 というわけで、ハイドライドを買ったわけですが、小学生の自分には難しずきた。

ロールプレイングゲームを全く知らず、とりあえずスライムを倒せばいいのだと 思ってやっていたのですが、全然話が進まず、しばらく放っておきました。

その後、雑誌などで情報を入手し、ハイドライドがどんなものか分かってきてからは、 面白かったです。クリアには苦労しましたが。

FM版には、メモリセーブ機能があり、テープにセーブしなくても、電源を切るまでは一時的に セーブできたので、これを駆使して、なんとかクリアした記憶があります。

何も知らない頃は、木を突いて蜂に追っかけられたことは、懐かしい思い出です。

で、テープ版のハイドライド2に繋がっていくのですが、それはまだ今度ということで。

野球狂に狂う

当時の小学生は、多くがそうだったと思いますが、私も地元のプロ野球を熱心に応援していました。 友人たちと草野球をいつもやってましたね。二人対二人と、今考えると無理じゃない?と思える人数でも 野球をやってました。

で、パソコンでも野球ゲームがやりたかったわけですよ。 当時、ハドソンから〜狂シリーズがでていまして、その一つが野球狂でした。

かなりやり込みました。いま、あちこちのサイトで情報を読むと、処理スピードが遅く、 タイミングがおかしなゲームだったみたいですが、同時はそんなことは思いませんでした。

キーボードを半分ずつ使っての二人対戦(これはかなりやりにくかった)や、 チームエディット機能を使って、オリジナルチームを作ったりしてました。 (当時発売されていたパソコン名を選手名として、パソコンズを作ってました)

このゲーム、ほとんどホームランが出なかったと思いますが、まれにホームランを打てた時には、 すごく嬉しかった記憶があります。

今日はここまで。

ロードランナー走れず

さて、次は、ロードランナーの番です。 データレコーダにテープをセットし、LOAD、RUNでしばらく待てば、タイトル画面が表示されるはず。

しかし、データレコーダが動いてくれませんでした。 いろいろと試してみたのですが、そこは素人ばかり。結局解決せず。 購入したお店に逆戻りです。

なぜ動かなかったのかは、もう分かりませんが、なんとか動かすことができました。

FM7用のロードランナーはソフトプロという会社から発売されていたはずです。 当時のPCソフトのパッケージってすごく大きくて、でも中にはカセットテープが1本のみで。 パッケージの裏側には画面写真が載っていました。

パソコン用のロードランナーって、キャラクターが小さいんですよね。で、スクロールすることなく 1画面に全体が見えていました。 なぜ、こんなことを書くかというと、ファミコン版のロードランナーを事前に見ていたからです。 ファミコン版は、キャラクターが大きく、スクロールすることで、面全体を一望することはできませんでした。

今考えれば、ゲーム性が違ってくるので、個人的にはパソコン版が好きですが、子供心には、 少しがっかりした記憶があります。

結局、全面クリアできたっけなあ?チャンピオンシップロードランナーってものあったと思うけど。 面エディットができるので、それでかなり楽しませてもらったと思います。

今日はここまで。

我が家にパソコンが来た

さて、前回の最後に、購入マシンはFM-New7と決まりました。 次にどこで購入するかです。

当時、有名な電気街といえば、東京・秋葉原、大阪・日本橋でんでんタウン、名古屋・大須と言ったところでした。また家電店でもパソコンコーナーがあるところも、数は少ないですがありました。このころの店頭には多種多様のマシンが並んでいましたよね。

代表的なところでは、PC88シリーズ、PC80シリーズ、PC6601やPC6001、X1シリーズやMZシリーズ、FMシリーズにMSXなど。今となっては忘れられた存在かもしれませんが、ソニーやナショナル、東芝なんかが独自のマシンを出していました。思い出すと、当時のお店ってワクワク感が溢れていた気がします。

さて、自分は比較的近かった名古屋・大須でマシンを購入することにしました。当時は、第1アメ横ビル、第2アメ横ビルにパソコンショップが集中していたと思います。まだ、グッドウィルとかありませんでしたし。で、第2アメ横ビルに入っていたとあるショップで購入しました。

興奮しましたね、本体とディスプレイ、データレコードの入った箱を持ち帰る時とか。最初に買ったゲームソフトは、ソフトプロから出ていたロードランナーでした。たしか、この少し前に友人の家でファミコン版をやったんじゃなかったかな。このあたりはうろ覚えですが、のちにフィミコンの画面との差異にびっくりするのですが。

さて、家に持ち帰り、一通り接続して、電源を入れたわけです。この当時、電源を入れるとBASICのインタプリタが立ち上がるのが一般的でした。FMシリーズなら、F-BASICの画面が表示されました。とりあえず、電源が入ることは確認できました。次は、ゲームの起動となるわけですが、これは次回へ。